
ある日のことジェットフォイル船内.“本日は波穏やにして晴朗なり”なのです.
1時間読書でもと本を開き2ページ読み終わりつつ,グーグー真っ昼間に白河夜船を漕いでおりましたら,ツンツンと.
“この気持ちよい眠りを覚ますのは誰じゃぁー”と,となりを見ると連れ合いが窓の外を指し示しておりました.その先に見えましたのが,くっきりと浮かび上がる大きな島のシルエット.
“太宰の『佐渡』だよ”と連れ合い.
寝ぼけアタマには“暫しお時間下さい…………………”と次の瞬間“わーっっっっ!”と私の叫び.
太宰治が初めて目にした佐渡ヶ島は正にこれだったのかと,合点がいきまして,先の叫びとなるのです.
太宰の『佐渡』を読んでからどうも気になっておりましたある一節があります.
【佐渡は,もうすぐそこに見えている.全島紅葉して,岸の赤土の崖は,ざぶりざぶりと波に洗われている.もう,来てしまったのだ.(中略)もう,来てしまった.けれども,誰も騒がない.(中略)船も島も,互いに素知らぬ顔をしているのである.島は,船を迎える気色が無い.ただ黙って見送っている.船もまた,その島に何の挨拶もしようとしない.(中略)島は,置き去りにされようとしている.これは,佐渡ヶ島でないのかも知れない.】
この後,太宰は狼狽しつつ,この島影が何であるのかを自問自答しながら解いていくのであります.
そして最初に太宰が佐渡と思った陸地を船は通り越し,更に見えてきた大陸を目にした太宰は以下のように表現しております.
【私の混乱は,クライマックスに達した.日本の内地ではないかと思った.それでは方角があべこべだ.朝鮮.まさか,とあわてて打ち消した.】
そして太宰の抱いたこの何とも奇妙な疑問は,ある親子の会話によって解き明かされるのです.このあたりのくだりがなかなかおもしろいのですが,興味をお持ちになられた方はどうぞ「筑摩全集類聚版太宰治全集」をご覧下さい.そう言えば,青空文庫にも無料でありますね.
大変長くなってしまいました.結局“佐渡は大きいが,何もない”と書いてあったような気がします.
そうなのです.
太宰も”朝鮮はたまた内地?”と素っ頓狂な推測をするほど大きな,そして何もないことがこの上なく贅沢と言える『佐渡』を是非体験しにいらしてみて下さいませ.ヨロシクッ