ユネスコ世界遺産登録に向けて,佐渡金山周辺の整備が急ピッチで進められております.
特に,シックナーや選鉱場(せんこうば)がある北沢地区周辺が熱っちっち!江戸期を中心とした佐渡金山のイメージのみをお持ちの方には一種の驚きがあること請け合いです.
明治新政府は混乱のさなか,維新なったナント翌年には鉱山近代化のため佐渡に開発団を送り込んでいたのだそうです.
しかしながら,近代西洋の技術の粋を集めたこれら工場群も,平成元年の閉山までには,完全にわたしたちの記憶から消え去っていたのでございます.
実際,選鉱場の前の敷地には,子供の頃と言いますかつい何年か前まで,“佐渡初”のゴルフ練習場が建っておりました.老朽化したネットと鉄柱を取り払うと,この威容が姿を現したのであります.
明治期の近代化遺産は地元民にとっても「埋もれた存在」.これからせっせと宣伝致します!
その昔,金山で採掘した鉱石を積み出しする相川大間港まで下ろすため,トロッコが使われていました.これはそのトロッコが通ったトンネル.今は立ち入り禁止となっています.トロッコが復活する夢を見続けております.(地図B)
丸太を真っ二つに切って貼り付けると,ガードレールもこの通り(地図B)
コカコーラの赤い自動販売機も化粧板でこの通り(地図C)
ごみケージもこの通り(地図C)
佐渡金山は三菱財閥に払い下げられたことで知られますが,金山お膝元の相川は三井財閥とも密接な繋がりがあります.「三井の大番頭」と言われ,三井物産や日本経済新聞社,三越や一橋大学を創設した益田孝が,金山のすぐ近く,相川弥十郎町で生まれています.
ブロック塀の板塀化推進地区・京町通り.6月第1土・日曜日(今年は4日と5日)にはこの通りを中心に「佐渡國相川京町・宵乃舞」が開催され,全国から多くの「流しファン」が集います.「江戸風情」を味わえる,佐渡屈指のイベントとなりました.(地図E)
「メイド・イン・佐渡」なものが並んでいます.(地図E)
佐渡版画村美術館の赤煉瓦塀.かつて佐渡裁判所が置かれていました.(地図F)
昭和31年開館.旧宮内省御料局佐渡支庁・鉱山事務所跡で,屋根瓦に菊の紋が入っています.館内には鉱石・鉱山用具などの鉱山資料や奉行所関係絵図などの天領資料が展示されています.また,戦前の外相・有田八郎の記念館や,旧第四銀行を移築した文書館,陶芸・裂織(さきおり)の体験実習ができる技能伝承展示館が併設されています.(地図G)
「明治18(1885)年、初代佐渡鉱山局長に就任した大島高任(たかとう)による第二次近代化の主要工事では、北沢地区に選鉱・精錬施設が建設されました。この工事では、選鉱場から港までの約1キロを結ぶ日本初の架空索道(空中ケーブル)が建設されるなど、当時最先端の西洋技術が導入されました。昭和13(1938)年から、国を挙げて金の大増産が始まると、北沢地区には月間7万トンの鉱石処理が可能な『東洋一の浮遊選鉱場』が建設されました。」(史跡佐渡金山WEBサイトより)
Google Mapsには表示されていませんが,(地図H)から小川沿いに東へ進み,相川技能伝承展示館を左手に見てすり抜けると,巨大な遺跡群が現れます.不定期ですがジャズ・コンサートなども開かれています.構造の妙で音響抜群.写真スポット多し.北沢地区,こんなに整備が進んでおりました!
ご一読頂ければ幸いです.
広大な敷地内はいつの間にか芝生が植えられていました.サッカー場にも転用できそう?
イタリヤ・ローマのコロッセオにも匹敵,というと大げさかも知れませんが,相当な「遺跡感」があります.昨今の「工場見学ツアー」のお客様にもご満足頂けるのでは.
北沢(地図H)から総源寺(地図I)まで車で上り,シックナーと選鉱場を見下ろすとこうなります.こりゃー「世界遺産」に値します!
曹洞宗・総源寺.佐渡奉行・鎮目市左衛門(しずめいちざえもん)の菩提寺.(地図I)