4月5日相川小学校の入学式の記念撮影です.緊張をほぐすため先生がカメラの向こうで冗談を仰った時のショットです.
皆さんとても良い顔で写っています.私もこの日は次男坊の晴れ舞台と思い,息子の準備より長い時間をかけ,気合いを入れて母から借りた着物で望みました.威張って真ん中でゲラゲラ笑っておりますが,本当に嬉しい1日でした.
3月21日~25日「版画甲子園」が今年も開催されました.七回目の大会ということで,我々も出場校の皆様をお迎えして早七年すぎたのかと,自分の歳を振り返ったりしております.
写真は『島根県立大田高等学校』と『島根県立安来高等学校』の皆さんと引率の先生方です.ご出発の日,25日の朝撮ったものですが,この日はこのあと審査発表… もちろん受賞を願ってお見送りいたしました.果たして結果は………
『安来高校』の皆さんがナント一等賞の最優秀賞!おめでとうございます!『大田高校』の皆さん,今回は残念でしたがまた来年是非挑戦してみて下さい.みんなでお待ちしております.
“そもそも「版画甲子園」とはなんぞや”と思われる方もいらっしゃると思います.事の始まりは,ある旦那衆の宴席です.
“高校野球があるんだし,ココには全国でも珍しい『版画美術館』があって版画が盛んなんやから,版画の高校生大会をやってはどうやろか?”“名付けて『版画甲子園』なんてどうやろか?”というわけで『版画甲子園』が開かれることとなったのであります.旦那衆の宴席,アイディアの宝庫ですね.
縁はいなもの味なもの,袖振り合うも他生の縁.応募された全国の高校生の皆様,また来年佐渡でお会いしましょう!
オーストラリアからデニングトン様ご夫妻にお越し頂きました.3年ぶりの再会です.今回は4泊の予定で来島されました.
前回いらした折りご紹介した串焼き店へ『今回も行きたい』と到着されるなり仰るので,早速マスターにお電話しましたところ,流石,ちゃんと覚えてらっしゃいました.
そのことをご夫妻にお話ししましたら大感激され,「あの時お店にいた人たちにまた会えたら嬉しいです」と言われ,またまたマスターにお電話,前回はどなたがいらしたのかを伺ったところ,丁度わたくしも存じ上げておる方で早速ご連絡を致しましたがあいにく不在.事の顛末をご家族の方に伝言だけしておきました.
さてさて結果は… とご夫妻に翌朝お伺いしましたら,「またまた,とても楽しく,カタオカさんも奥さんも来て下さり,とても盛り上がりました.ホテルへ戻ったのは“midnight”でした.また飲み過ぎちゃったよ」と笑ってらっしゃいました.
そんなこんなでオーストラリアへ帰国予定の13日,日本上空は大寒波に襲われ,佐渡汽船も全便欠航という事態に陥ったのであります.さてと,どうしたことかとこちらが思っているよりずっと簡単に「もう一泊させて下さい,船も新幹線も飛行機も変更しました」とあっさり.しかも「どうせですから露天風呂付き客室に変更して下さい,お風呂大好きですから何度でも入りたいです」と仰り,残りのそして余分にかかってしまった1日を存分に満喫しておられました.時間の過ごし方,気持ちの持ち方がおおらかでゆったりとされていて,お話しさせて頂いている間中幸せ気分でした.
「何年後かはわかりませんが,今,孫が日本語を勉強中です.日本語が上達したら一緒に日本へ来ようと言ってますので,そのときはまたよろしくお願いします」と流暢な日本語でお話しして下さいました.再会を楽しみにしております.本当に有り難うございました.
2月25日は相川芸能祭です.
町の人達がそれぞれに日頃の成果を披露するとても楽しく愉快な場なのです.“歌”有り“踊り”有り“お芝居”有りと抱腹絶倒の一日なのです.私たちも相川幼稚園の園児とお母さんそして先生という編成でコーラスグループを組み美しいハーモニーを披露して参りました.因みに私の視線の先に手を半分挙げかけサスペンダーのサイズが少し詰まりすぎているのか短パンがちょっと気持ちめくれあがっている子が我が次男坊です.
この日は私,生憎,ひどい風邪をひき喉のコンディションが非常に悪く,実は半分“口パク”状態だったのであります.だからコーラスきれいだったって事かも知れません.トホホ…
何はともあれ愉快な一日でございました.
2月11日“にいがた食の陣”へ行ってチラシを配って参りました.
「佐渡國相川ひな祭り」が2月24日から始まるのに先駆け,「相川花の会」がこのイベント会場で相川音頭を披露し新潟の皆様に佐渡へお越し下さいと宣伝したのであります.
相川音頭は大変好評で,通りすがりのお客様から「佐渡おけさもいいけど,コレもなかなかいいね」とか「懐かしく見せて頂いたわぁ~,有り難う」と声をかけられ手応え充分でございました.
相川花の会(有志でひな祭りを計画,今年で3回目を迎えます)の皆様は,このひな祭りが成功するようにと,それはそれは並々ならぬご努力をしておられます.我々観光に携わるものも“頑張らねばなりませぬ”と,今回は『美佐渡会(みさとかい:旅館の女性の会)』も便乗させて頂いた次第です.相川花の会様ありがとうございました.
当日は寒風吹きすさぶあいにくの天候でしたが,そんな中,寒さをこらえ相川音頭を踊った人達,ひな祭りの幟を風に持って行かれないよう必死に抱えていた人達,そして手を凍えさせながらチラシ配りをした人達,そう,佐渡はこんなに「熱い」のです.新潟の方々にもこの思いは伝わったのではないでしょうか.寒かったけど「熱い」一日でございました.
相川商工会婦人部の講習会に参加させて頂きました.
今回の講師は佐渡西警察署署長・島田啓介様です.島田様は2004/10/23の中越地震の際,県警機動隊の隊長として活動された方です.ご本人も地震の際は長岡の御親戚のところで“夕食でも一緒に食べていかんか”と誘われているところへ突然の大きな揺れ,これは大変だと奥さんを伴いすぐに新潟へと戻り,またその足ですぐに山古志村へと飛んだそうです.
山古志村の中学校のグラウンドへ降り立った時の驚きは想像を絶するものだったそうです.ただ,長島村長指揮の下,寸断された道路を歩いて役場職員が被害状況を把握しようと懸命に情報を集めており,島田署長は村長の指導力と吏員の行動力にたまげたと仰っておりました.
その後自衛隊と協力してより多くの人を避難させなければと輸送用飛行機はフル稼働.
ところが日暮れとなり明かりのないグラウンドへの着陸が困難ということで救出作業の打ち切り命令が出されました.
輸送はあと一回だけ.最後の機に乗れるのは20名.誰が最後の20名を選ぶのか.
長島村長は「私が責任を持ちます.任せて下さい.」と立ち上がりグラウンドへと向かったのでした.
しかし,村長がなかなか戻ってこないので島田署長は心配になり現場へ行ってみると,グラウンドの周りはなんと明かりが煌々と照らされ,夜間の救出作業が行われていたそうです.村の青年達が「お年寄り・女性・子供だけでも何とか今日中に避難所へ連れて行って下さい」と,工事現場に使うハロゲンをグラウンドに照らし夜間飛行を可能にしたのです.
人間の力,人が人を思う強さ,人間ってすばらしいと改めて感じる「命のはなし」をお聞かせ頂きました.
その後署長は,報道でもご存じの方が多いと思いますが,土砂崩れに巻き込まれたワゴン車から皆川真優ちゃんを一刻も早く遺族の元へ返してあげなければと,遺体の収容作業に向かいました.まだまだ安全とは言えない現場ではちょっとのミスが大惨事につながるという緊迫した中での作業だったそうです.
午前6時過ぎに始まった作業は,午後3時23分,ようやく真優ちゃんを土砂の中から運び出すことができ終了.亡骸に用意してきたお線香・お菓子・ジュースを供え,長岡の生花店で買い求めた花束を供えようとしたところ,署長は思わず「誰だァッこの花束用意したのはッ」と叫んだそうです.その花はなんと“花嫁さんのブーケ”だったのです.
一人の隊員が「私であります.実は花屋のご主人が『真優ちゃんに供えるんならちょっと待ってて』とこれを渡して下さいました.」花屋のご主人はお金も受け取らずに,天国で真優ちゃんが可愛らしい花嫁さんになれますようにと素敵なブーケを作って下さったのでした.隊員全員でその花束を供え合掌.署長は暫く頭を上げることができなかったと言います.
今こうしてこの文を書いているだけでも目頭が熱くなります.人が人を思う優しさ,暖かさを実感致しました.こんな素敵なおはなしをお聞かせ下さった島田署長に感謝です.
あらためて中越地震でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈り致します.
JTBトラベランド社長茂原史則様にお会いして参りました.年末から続く本社移転に伴うお忙しさにもかかわらず,たんまり時間を割いて頂きました.感謝申し上げます.
以前,日本交通公社新潟支店長をされていた時のこと.「異業種交流」と言いますか,「とにかく好きな人集まれ」とでも言いますか,四六四九会 [yoroshiku_kai] という名のもと,毎年恒例忘年&新年麻雀大会を昼間っから開催しておりまして,弊社の支配人が“茂原支店長もどうやら好きらしい”という囁きをどこからともなく聞きつけお誘いしたところ,荒波をもろともせずお越し下さったという訳でございます.
この日お邪魔した時もなつかし話に花が咲き,「ところで社長,成績はどうだったんですか?」とお尋ねしますと,「暗くなってから調子出るんですよ…」と仰っておりました.気取りのないとっても素敵なお人柄,これからも永ーいお付き合いの程よろしくお願い致します!
1月23日,築地市場の場内へ行って参りました.実は「場内」は初めての体験です.
カメラぶら下げた海外の方も多くワクワクしながらの見学となりました.働く方々の“俺はココで飯食ってるぞォーッ”といわんばかりの誇りとしなやかさがたまらなく素敵でした.
『寿司大』さんは人気店らしく,ずっと行列が切れることなく続いておりました.今度来る時には私も早く来て並ぶぞと決意致しました.他にも沢山お店,食堂が並び,“わたしゃココで生きてます”の息吹が伝わってきました.
これが噂の『吉野家一号店』.営業時間も築地スタンダードの午前5時から午後1時迄.
これが噂の一人貨車.これに丸太のような鮪を乗せ市場内を縦横無尽に走るのであります.よく衝突事故がないものだと感心致します.まあーここでは人も自転車も車も一人貨車も走る走る,ぐずぐずしていては轢かれちゃうのです.
ここが噂の築地大通路.鮪が行き交います.
本日の目的地へ到着.築地で唯一おつきあいさせて頂いております『佐和久』さんです.とても良いところに店を構えていらっしゃる.流石です.
今回はこの方にお会いすることが一番の目的でした.佐和久の若社長です.実は初対面.佐渡の小さな宿屋ですが,今後ともよろしくお願い致します.
朝日新聞本社.築地市場の真ん前にそびえ立っております,あの社旗をはためかせつつ…
築地本願寺(正式には浄土真宗本願寺派本願寺築地別院というそうです)にお参りしました.気分がすっと致しました.何事にも感謝を忘れずに.
因みに我が家は浄土宗です.
以上,築地界隈ぶらり旅~わたしゃココで生きてます,でした.