『若旦那・若女将の遣欧使節団』フランス編

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遣欧使節団はマドリッドを後にし,パリへとやって参りました.初パリです.ヤッホー!!と浮かれている暇はございません.昼食を済ませると,すぐに今回『新潟雪国展』を開催させていただく日仏文化センターへと向かったのであります.

ここに至るまでには,いろいろなご苦労があったとお伺いしております.

そもそもの始まりは,新潟県長岡市ご出身の温泉ライター山崎まゆみさんと新潟県旅館組合青年部との出会いから… その結びつきは中越地震により一層深まったそうでございます.

そしてその縁は,『YOKOSO!JAPAN親善大使』でもある山崎さんにより,海を越え,同じく親善大使の日仏文化センター館長服部祐子さんへと繋がっていくのです.

人と人との結びつき,とびっきり素晴らしい縁のおかげで,日本からこんなに離れた,こんなところで,こんなことまで出来てしまうことを(私どもは端っこにぶら下がってくっついてきただけではありましたが)体験できて本当に幸せでございました.

ここまでの長~い道のりを,山崎さんがご自身のブログで簡潔に書いておられますので,是非ご覧下さいませ.

さて,旅館の皆様はさすが“おもてなしのプロ”でございます.準備を始めるやいなや,それぞれの“感性”を持ち寄り,パリに素敵な雪国の宿をあっという間に再現してしまいます.

午後3時,いよいよお客様をお迎えする段に…

またまたさすがおもてなしのプロ,いつものホスピタリティーを遺憾なく発揮し,パリの皆様に存分に日本の宿を,新潟の宿を味わっていただこうと動き回りました.

抹茶を出す人,お餅を焼く人,足湯ならぬ“手湯”の説明をする人,お酒を飲む人 モトイ つぐ人,記録撮影をする人と,それぞれ打ち合わせをした役割に分かれ(因みに私の役割は何故かすぐに決まってしまいました お酒担当です),あっという間の3時間でございました.

マドリッドへと導いて下さいました,新潟県観光局・坂巻健太様,パリへと導いて下さいました山崎まゆみ様,そしてとても素敵な場所を提供して下さいました服部祐子様,ご後援下さいました高原寿一様はじめ駐仏日本大使館の皆様,本当にありがとうございました.

そして「新潟の宿を世界に知ってもらおう!」と熱き思いを抱き,6日間一緒に飲んで食べて笑いあった“嗚呼我ガ戦友”に感謝,感謝でございます.

SANYO DIGITAL CAMERA↑(清水さんとオルギンさん!)

佐渡相川の窯元(文平窯)ご出身でパリ在住の清水伸さんと,ご友人で画家のラファエル・オルギンさん.まさかここで元ご近所さんにお会いするとは!一時帰国の折には彼の国の最新情報をお聞かせ下さいませませ.

『若旦那・若女将の遣欧使節団』スペイン編

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行って参りました.遣欧使節団.話せば長くなることですので,“まとめトーク”でお話しいたします.

「新潟県旅館組合の若旦那と若女将達は,22時間の旅をし,餅をつき,おにぎりを握り,新潟の銘酒を振る舞い,無事18時間で新潟へ戻って参りました.」

これじゃー全然わかんないだろうのお声もございますが,ブログ『オイラは〜』に当館宿六が編集しました動画『若旦那・若女将の挑戦2009~新潟県旅館組合遣欧使節団のルポルタージュ』を掲載してございます.どうかひとつそちらをご覧下さいませ.(フランス編につづく)

新潟日報_FITUR_新聞画像↑(餅搗き!)

2009年1月31日付・新潟日報の写真.因みにわたくしも右端に着物だけ写っておりました (Photo by Mr. S. Nakamura, Courtesy of NIIGATA-Nippo)

SANYO DIGITAL CAMERA↑(真後ろ!)

日報の写真の逆アングル.日本ブースは大人気で,いつも黒山のような人集り

ハロウィーンのふたり

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以前第一回目の”若女将交友録”でご紹介しましたジュエリー・デザイナーのカイル・マンスフィールドさん.”我が家の一大イベント”とおっしゃるハロウィーンの写真を送ってきてくださいました.

ケネディさん家のジャッキー役は姉のパーカーちゃん(右).マイ・フェア・レイディのオードリー役は妹のケイデンちゃん.我が家のいたずらっ子たちと一歳ずつしか違いませんが,身長はそれぞれ1.5倍ぐらいありそうです.

とってもおしゃまさんに写っててカワユイですね.写真,どうもありがとうございました.

エカチェリーナさんたち

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ほらね,心配無用でしょ.笑えば全てうまくいく… 笑ってごまかしているわけでは決してございませんよ.

ロシアの女性の名前といえば“エカチェリーナ”しか思い浮かばないようなモンでも,なーんとなく通じてたりするのです.

宴会後,男性陣は取材・撮影を継続ということで,お庭にあります貸切露天風呂へ入っております.その様子をチラリ見学しようと“エカチェリーナ”さんたち+わたくしの計4名が,野次馬でやってきたのであります.

で,なんだかおかしいのです.

この後笑いが止まらず,ずっと笑いっぱなし!

さらに,ロシアの方はたっぷりしていて,とてもとてもとても頼もしいのです(決して体格のことではありませんよ).

ロシアの皆様,楽しい夜をありがとうございました.

4兆円を狙え!

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“『4兆円を狙え!』とはまた大袈裟なタイトル,一体なんじゃろかいな”と思われたのではないでしょうか?

実はコチラ,NHKさんの番組タイトルでございます.外国人旅行者誘致に向けての各地方の取り組みを紹介する番組です.で,新潟県はハバロフスク便が就航していることもあり,ロシアの皆様に向けてPRする姿を取り上げていただいた次第です.旅行会社及びマスコミ関係の方々が,県内の温泉地をそれぞれ別れて視察なさいました.

そして,その視察団をNHKの方が密着取材なさっているところをさらに撮影したわけでございまして,詳しくは“オイラは宿六♪”をご覧下さいませ.何気なく私も顔を出したりしております.

ロシア語は言うに及ばず英語もままならない私としては,どうしたものかと思っておりましたが,心配ご無用なロシアの皆様でした.エントリー『エカチェリーナさんたち』へ続く……………

37km

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わたくし,南佐渡は旧赤泊村の腰細 [koshiboso] 地区の海岸に立っております.突堤の向こうに見えますのは小佐渡山脈…ではございませんでして,なんと新潟本土(わたくしの右肩あたりのが弥彦山,写真の左端あたりのが角田山)なのです.

この角田浜と,腰細から海岸沿い北東方向に7~8km,あの日蓮上人が辿り着いた多田 [ooda]との間の距離は直線にして37kmほど.

(佐渡おけさ)♪ハァ~,佐渡と 柏崎は 竿さしゃ 届くョ…
もあながち大袈裟と言い切れないのでございます.

因みに柏崎-小木間はざっと50kmといったところでしょうか.

命のはなし

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相川商工会婦人部の講習会に参加させて頂きました.

今回の講師は佐渡西警察署署長・島田啓介様です.島田様は2004/10/23の中越地震の際,県警機動隊の隊長として活動された方です.ご本人も地震の際は長岡の御親戚のところで“夕食でも一緒に食べていかんか”と誘われているところへ突然の大きな揺れ,これは大変だと奥さんを伴いすぐに新潟へと戻り,またその足ですぐに山古志村へと飛んだそうです.

山古志村の中学校のグラウンドへ降り立った時の驚きは想像を絶するものだったそうです.ただ,長島村長指揮の下,寸断された道路を歩いて役場職員が被害状況を把握しようと懸命に情報を集めており,島田署長は村長の指導力と吏員の行動力にたまげたと仰っておりました.

その後自衛隊と協力してより多くの人を避難させなければと輸送用飛行機はフル稼働.

ところが日暮れとなり明かりのないグラウンドへの着陸が困難ということで救出作業の打ち切り命令が出されました.

輸送はあと一回だけ.最後の機に乗れるのは20名.誰が最後の20名を選ぶのか.

長島村長は「私が責任を持ちます.任せて下さい.」と立ち上がりグラウンドへと向かったのでした.

しかし,村長がなかなか戻ってこないので島田署長は心配になり現場へ行ってみると,グラウンドの周りはなんと明かりが煌々と照らされ,夜間の救出作業が行われていたそうです.村の青年達が「お年寄り・女性・子供だけでも何とか今日中に避難所へ連れて行って下さい」と,工事現場に使うハロゲンをグラウンドに照らし夜間飛行を可能にしたのです.

人間の力,人が人を思う強さ,人間ってすばらしいと改めて感じる「命のはなし」をお聞かせ頂きました.

その後署長は,報道でもご存じの方が多いと思いますが,土砂崩れに巻き込まれたワゴン車から皆川真優ちゃんを一刻も早く遺族の元へ返してあげなければと,遺体の収容作業に向かいました.まだまだ安全とは言えない現場ではちょっとのミスが大惨事につながるという緊迫した中での作業だったそうです.

午前6時過ぎに始まった作業は,午後3時23分,ようやく真優ちゃんを土砂の中から運び出すことができ終了.亡骸に用意してきたお線香・お菓子・ジュースを供え,長岡の生花店で買い求めた花束を供えようとしたところ,署長は思わず「誰だァッこの花束用意したのはッ」と叫んだそうです.その花はなんと“花嫁さんのブーケ”だったのです.

一人の隊員が「私であります.実は花屋のご主人が『真優ちゃんに供えるんならちょっと待ってて』とこれを渡して下さいました.」花屋のご主人はお金も受け取らずに,天国で真優ちゃんが可愛らしい花嫁さんになれますようにと素敵なブーケを作って下さったのでした.隊員全員でその花束を供え合掌.署長は暫く頭を上げることができなかったと言います.

今こうしてこの文を書いているだけでも目頭が熱くなります.人が人を思う優しさ,暖かさを実感致しました.こんな素敵なおはなしをお聞かせ下さった島田署長に感謝です.

あらためて中越地震でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈り致します.

築地界隈ぶらり旅 ~わたしゃココで生きてます~

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1月23日,築地市場の場内へ行って参りました.実は「場内」は初めての体験です.

カメラぶら下げた海外の方も多くワクワクしながらの見学となりました.働く方々の“俺はココで飯食ってるぞォーッ”といわんばかりの誇りとしなやかさがたまらなく素敵でした.

『寿司大』さんは人気店らしく,ずっと行列が切れることなく続いておりました.今度来る時には私も早く来て並ぶぞと決意致しました.他にも沢山お店,食堂が並び,“わたしゃココで生きてます”の息吹が伝わってきました.

SANYO DIGITAL CAMERA↑(ココで生きてます…その1)

これが噂の『吉野家一号店』.営業時間も築地スタンダードの午前5時から午後1時迄.

SANYO DIGITAL CAMERA↑(ココで生きてます…その2)

これが噂の一人貨車.これに丸太のような鮪を乗せ市場内を縦横無尽に走るのであります.よく衝突事故がないものだと感心致します.まあーここでは人も自転車も車も一人貨車も走る走る,ぐずぐずしていては轢かれちゃうのです.

SANYO DIGITAL CAMERA↑(ココで生きてます…その3)

ここが噂の築地大通路.鮪が行き交います.

SANYO DIGITAL CAMERA↑(ココで生きてます…その4)

本日の目的地へ到着.築地で唯一おつきあいさせて頂いております『佐和久』さんです.とても良いところに店を構えていらっしゃる.流石です.

SANYO DIGITAL CAMERA↑(ココで生きてます…その5)

今回はこの方にお会いすることが一番の目的でした.佐和久の若社長です.実は初対面.佐渡の小さな宿屋ですが,今後ともよろしくお願い致します.

SANYO DIGITAL CAMERA↑(ココで生きてます…その6)

朝日新聞本社.築地市場の真ん前にそびえ立っております,あの社旗をはためかせつつ…

SANYO DIGITAL CAMERA↑(ココで生きてます…その7)

築地本願寺(正式には浄土真宗本願寺派本願寺築地別院というそうです)にお参りしました.気分がすっと致しました.何事にも感謝を忘れずに.

因みに我が家は浄土宗です.

以上,築地界隈ぶらり旅~わたしゃココで生きてます,でした.

村田文三と祖父

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佐渡が生んだ天才民謡歌手村田文三師のCDが昨年末発売されました.我々佐渡人にとっては待望の『村田文三全集』であります.

子供の頃よく母から村田文三さんの事は聞かされておりました.「後にも先にもあんな佐渡おけさは聞けやしないよ.あの節回しと声はほんとすばらしかったよ.」

残念ながら私が生まれた頃は村田さんの生歌を聴くことはできませんでした.ですから今回の企画を知り発売されたらもちろん購入するぞーと張り切っておりましたところ,なんとそのCDに私の祖父“深見小一”の名が載って居るではありませんか.あまりにも嬉しい付録付きでした.

そもそも家の祖父は,お祭り大好き,芸者さん大好き,唄も歌うし,太鼓もたたくしととにかく賑やかなことが好きだったらしく,当時佐渡鉱山に勤務されていた村田さんのところへちょくちょく遊びに行っていたようであります.ちゃっかり後ろにくっついて唄まで録音していたとは,今回のこのCDが発売されるまで実の娘である母も知らなかったとか.

兎にも角にも我が家にとって“ Surprise Present”となったのであります.ご興味のある方は是非村田さんの“佐渡おけさ”聞いてみて下さいこれは確かに一聴の価値有りです.まー,ついでに深見小一のも聞いてやって下さいませ.

村田文三全集 DISC-2
第六曲目、佐渡おけさぞめき(鉱山祭りおけさ流し)
録音年 :昭和六年
音源所有:日本ビクター蓄音器(株)
唄   :村田文三・深見小一・山田千代・菊地歌楽(鳴物入)


(歌詞)
★(村田文三 →)待つに甲斐ない今宵の雨はョ 家に居れども袖ぬらす
★(深見小一 →)嫌なお客の座敷を離れョ 丸い月見る主のそば
★(山田千代 →)思ひ出すなとゆて別れたにョ 思ひ出すよな事ばかり
★(菊地歌楽 →)嫌な嫌な座敷をこらへているもョ 春を楽しむ床の梅
★(村田文三 →)胸に胸に千駄のカヤたく夜でもョ 煙出さなきゃ人知らぬ

ローラ先生

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米国・コネティカット州出身のALT(英語補助教員)ローラ・ポラック先生.今年(2006年)7月に任期を終え帰国予定だそうですが,是非とも最後に旅館での経験を積みたいとのことで,GW期間中,お客様のお出迎えやら布団敷きやらでお手伝い頂きました.

「トッテモタノシイ! トクニ,フトンシキ」