寝言

ある人からメールがきました.遠方での某会議(宴会付き)に一緒に出席し,その日の宿泊部屋も一緒だった人です.

そのメールによると,「『腰につけた巾着袋がどうしたこうした・・・・・・(以下意味不明)』でも、キ・ン・チャ・ク・ブ・ク・ロと一音節ずつ明確に発音してました。」とのこと.

私の脳は,睡眠中,最も活性化させるべく,その分,日中,休ませています(「死んでいる」と言う人もいます).

日中の発言は「何を言っているかよくわからない」とよく言われますが,睡眠中のは「弁が立つ」と言われます.

「言いたいことも言えない日常生活の…」とか言ってみたところで誰にも相手にされない私は,今日も寝てるあいだに喋ることでしょう.

愚痴でした.

新譜

26

アルバム「エイジャ(彩):1977年」に衝撃を受けて以来,スティーリー・ダンとドナルド・フェイゲンものは,その中味を吟味することなく全て無条件に買ってきました.「ハズレはなかろう」という前提です.

「ガウチョ:1980年」
「ナイトフライ:1982年ドナルド・フェイゲン」
「カマキリアド:1993年ドナルド・フェイゲン」
「ツゥー・アゲンスト・ネイチャー:2000年」
「エブリシング・マスト・ゴウ:2003年」

聞いて一発でそれと分かる確固たるアイデンティティは「おみごとっ!」の領域で,聞く人によってはみな同じ曲に聞こえるかも知れません.しかし,これが「個性」なのだと思いますし,われわれフリークはまさに「コレ」を楽しんでいるのであります.

「エイジャ(彩)」と「ザ・ナイトフライ」は,どの評論でも名盤にあげられるほどの出来栄えで,これらが彼等の「基準」になってしまい,新譜がいつもこれらと比較されてしまう点がチト可哀想なところです.今回の「モーフ・ザ・キャット:2006年」も,アマゾンあたりの寸評を見ると,やはり上記2盤との比較論が少なくありません.

でも,われわれフリークにとっては「ドナルド・フェイゲンの世界」の相対的な出来不出来を言ってみたところでまったく意味がなく,むしろ,あの感覚にまた数年ぶりに出会えた幸せをかみしめて,晩酌のお供にさせていただくのが正しいあり方だと思います.