新潟県旅館組合青年部平成19年度通常総会

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新潟県旅館組合青年部の通常総会が月岡温泉ホテル清風苑で開催され出席してきました.この総会をもって樋口恵一さん(月岡温泉ホテル清風苑・若旦那)が青年部長を退任,柳一成さん(松之山温泉鄙の宿千歳・若旦那)が新部長に選出されました.

↓(通常総会)まじめに総会しております.
seinenbu_soukai2007

↓(懇親会での「卒業式」)
出席部員7名の「卒業式」が執り行われました.定年は45歳ですが,役員になると2年ないし1年延長される規約があるようです(従って47歳でも「青年部」です).偶然この日は,卒業の川上さん(村杉温泉・川上屋)の誕生日でした.
seinenbu_sotsugyou2007

↓(二次会での「直前部長」)
本日をもちまして「直前部長」の樋口さん,2年間の部長職本当にお疲れ様でした.今後は家庭サービス,お疲れ様です.奥様,ご子息様,そして奥様の妹様にくれぐれもよろしくお伝え下さい.
keiichi_karaoke2007

【付録1】新潟県旅館組合青年部・平成19年度副部長報告
     (広報情報担当副部長:深見弘喜)

 今年の「広報情報委員会」は「交通アクセス部会」とほぼイコールでしたので,全旅連青年部全国大会受入実行委員会の部会長報告に書いたものを転記させていただくことで広報情報委員会の副部長報告とさせていただく安易な姿勢をどうぞご批判下さいますようお願い申し上げます.

【付録2】全国旅館連盟青年部全国大会受入実行委員会・部会長報告
     (交通アクセス担当部会長:深見弘喜)

  ~~~メッセへGO!! 交通機関はセルフ式~~~

 「最善を期待し最悪に備えよ」 樋口部長にこう言われてから,前夜祭で泥酔した身体を宿舎の寝床に沈めて意識が朦朧となるまでの一ヶ月間,全てを差し置いてやったのは「晴れますように」と神と仏に祈りを捧げることでした.交通アクセス部会最大の任務が祈祷だったとは誰も知る由もないでしょう.このように,最善を期待するのに完璧だった私は,最悪に備えるのをうっかり忘れてしまったのです,当日は冷たい雨が容赦なく降り注ぐ悪天...てるてる坊主を作っておくべきでした.

 見れば,悠然と缶コーヒーをすする竹田委員長.「大丈夫,なるようにしかなりませんから… 樋口部長も深見さんも取り越し苦労です.」取り越し苦労ではなく,想定外の天気にうろたえただけです.天気以外のことまで考えていたらきっと心臓麻痺を起こしていたでしょう.

 聞けば,手前んところの交通アクセスをなんとかしなければならなかった部会長を蚊帳の外に置いて,委員長はJTBの古田さんと二人だけで何度も密会を重ね,やることはやって愛を育んできたのでした.

 総勢15名の精鋭を集めた交通アクセス部会は,山川泰隊長率いる【駅お出迎え部隊】と,河村信之隊長率いる【空港お出迎え部隊】,それから残りその他大勢の【会場ご案内部隊】に分かれて位置につきました.

 部隊を外に出してからの私は,部会長として目まぐるしい忙しさです.トランシーバーで樋口部長にもしもし聞こえますかどーぞと呼びかけてみたり,出先の山川隊長と河村隊長に1分おきに電話したり,旅館組合女性事務局にメルアドを聞いたりその辺の若女将さんの電話番号を聞き出したりしているうちに,駅・空港に配車してあった迎えのバス全てがこちらの会場に到着してしまいました.

 ここまで力みすぎた反省から,お客様をお出迎えした後は,血を見たりすることなくなんとなく7時間ほどをやり過ごし,最後の任務であるブロックナイト行きバスへの誘導もゆるゆるでやりましたので,はたから見ると手抜きにうつったかも知れません.しかし,乗り遅れた人は,知り合いの中には一人もいませんでした.確か,東海ブロックの皆さんが違うバスに乗って出発してしまったという報告を受けたような気がしますが,これは忘れることにしました.

 なにはともあれ,交通アクセス部会が大過なく任務を全うできたのは,全国の青年部の皆さんひとりひとりが電車・バス・飛行機に乗り慣れていたからです.この場をお借りして御礼申し上げます.

弥彦・角田

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旭神航空のプロペラ機「アイランダー」で新潟へ向け佐渡を飛び立つやいなや見える,弥彦山(右側)と角田山(左側).手前の緑に見えるあたりが小佐渡山系の姫崎付近(佐渡最東端)です.

この撮影地点から弥彦までの距離はおよそ40km.最短距離と言うことになると,おそらく松ヶ崎(佐渡)あたりと角田浜(本土)あたりの間になるんでしょうけど,そこは30kmちょっとしかありません.佐渡と本土はこんなに近いのです!

里帰り

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東京藝術大學名誉教授で「人間国宝」の三浦小平二様とお仲間の皆様.新潟市内で個展開催の折り,佐渡へ一日里帰りされました.

[追記:2006/10/06]
10月3日未明,三浦小平二様がご逝去されました.今回の里帰りは「佐渡へのお別れ」においで下さったのだと思いました.三浦先生,今まで本当に有り難うございました.天国で安らかにおやすみ下さい.謹んでご冥福をお祈りいたします.
[各紙訃報記事]
朝日新聞
毎日新聞
読売新聞
産経新聞
日本経済新聞
新潟日報
[ホテル吾妻サイト内の関連リンク]
若女将さん忙中閑有り

全旅連全国大会・観光立国推進全国大会

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全旅連全国大会・観光立国推進全国大会・自民党国会議員を囲む会・次期参議院選挙の必勝を期そう」に出席してきました.

SANYO DIGITAL CAMERA大村秀章衆議院議員

SANYO DIGITAL CAMERA旧山古志村村長・長嶋忠美衆議院議員と新潟県旅館組合・金子事務局長

SANYO DIGITAL CAMERA吉田六左右衛門衆議院議員

SANYO DIGITAL CAMERA荻原健司参議院議員

SANYO DIGITAL CAMERA稲葉大和衆議院議員

SANYO DIGITAL CAMERA松浪健四郎衆議院議員

SANYO DIGITAL CAMERA山本一太参議院議員

SANYO DIGITAL CAMERA安倍晋三官房長官

SANYO DIGITAL CAMERAおっと政治家ではありませんでした… 福田先輩

SANYO DIGITAL CAMERA井脇ノブ子衆議院議員

SANYO DIGITAL CAMERA打ち上げは渋谷の居酒屋さんで

寝言

ある人からメールがきました.遠方での某会議(宴会付き)に一緒に出席し,その日の宿泊部屋も一緒だった人です.

そのメールによると,「『腰につけた巾着袋がどうしたこうした・・・・・・(以下意味不明)』でも、キ・ン・チャ・ク・ブ・ク・ロと一音節ずつ明確に発音してました。」とのこと.

私の脳は,睡眠中,最も活性化させるべく,その分,日中,休ませています(「死んでいる」と言う人もいます).

日中の発言は「何を言っているかよくわからない」とよく言われますが,睡眠中のは「弁が立つ」と言われます.

「言いたいことも言えない日常生活の…」とか言ってみたところで誰にも相手にされない私は,今日も寝てるあいだに喋ることでしょう.

愚痴でした.

新譜

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アルバム「エイジャ(彩):1977年」に衝撃を受けて以来,スティーリー・ダンとドナルド・フェイゲンものは,その中味を吟味することなく全て無条件に買ってきました.「ハズレはなかろう」という前提です.

「ガウチョ:1980年」
「ナイトフライ:1982年ドナルド・フェイゲン」
「カマキリアド:1993年ドナルド・フェイゲン」
「ツゥー・アゲンスト・ネイチャー:2000年」
「エブリシング・マスト・ゴウ:2003年」

聞いて一発でそれと分かる確固たるアイデンティティは「おみごとっ!」の領域で,聞く人によってはみな同じ曲に聞こえるかも知れません.しかし,これが「個性」なのだと思いますし,われわれフリークはまさに「コレ」を楽しんでいるのであります.

「エイジャ(彩)」と「ザ・ナイトフライ」は,どの評論でも名盤にあげられるほどの出来栄えで,これらが彼等の「基準」になってしまい,新譜がいつもこれらと比較されてしまう点がチト可哀想なところです.今回の「モーフ・ザ・キャット:2006年」も,アマゾンあたりの寸評を見ると,やはり上記2盤との比較論が少なくありません.

でも,われわれフリークにとっては「ドナルド・フェイゲンの世界」の相対的な出来不出来を言ってみたところでまったく意味がなく,むしろ,あの感覚にまた数年ぶりに出会えた幸せをかみしめて,晩酌のお供にさせていただくのが正しいあり方だと思います.