「全旅連全国大会・観光立国推進全国大会・自民党国会議員を囲む会・次期参議院選挙の必勝を期そう」に出席してきました.
寝言
ある人からメールがきました.遠方での某会議(宴会付き)に一緒に出席し,その日の宿泊部屋も一緒だった人です.
そのメールによると,「『腰につけた巾着袋がどうしたこうした・・・・・・(以下意味不明)』でも、キ・ン・チャ・ク・ブ・ク・ロと一音節ずつ明確に発音してました。」とのこと.
私の脳は,睡眠中,最も活性化させるべく,その分,日中,休ませています(「死んでいる」と言う人もいます).
日中の発言は「何を言っているかよくわからない」とよく言われますが,睡眠中のは「弁が立つ」と言われます.
「言いたいことも言えない日常生活の…」とか言ってみたところで誰にも相手にされない私は,今日も寝てるあいだに喋ることでしょう.
愚痴でした.
新譜
アルバム「エイジャ(彩):1977年」に衝撃を受けて以来,スティーリー・ダンとドナルド・フェイゲンものは,その中味を吟味することなく全て無条件に買ってきました.「ハズレはなかろう」という前提です.
「ガウチョ:1980年」
「ナイトフライ:1982年ドナルド・フェイゲン」
「カマキリアド:1993年ドナルド・フェイゲン」
「ツゥー・アゲンスト・ネイチャー:2000年」
「エブリシング・マスト・ゴウ:2003年」
聞いて一発でそれと分かる確固たるアイデンティティは「おみごとっ!」の領域で,聞く人によってはみな同じ曲に聞こえるかも知れません.しかし,これが「個性」なのだと思いますし,われわれフリークはまさに「コレ」を楽しんでいるのであります.
「エイジャ(彩)」と「ザ・ナイトフライ」は,どの評論でも名盤にあげられるほどの出来栄えで,これらが彼等の「基準」になってしまい,新譜がいつもこれらと比較されてしまう点がチト可哀想なところです.今回の「モーフ・ザ・キャット:2006年」も,アマゾンあたりの寸評を見ると,やはり上記2盤との比較論が少なくありません.
でも,われわれフリークにとっては「ドナルド・フェイゲンの世界」の相対的な出来不出来を言ってみたところでまったく意味がなく,むしろ,あの感覚にまた数年ぶりに出会えた幸せをかみしめて,晩酌のお供にさせていただくのが正しいあり方だと思います.
阿寒湖の視察
お花見
手ほどき
料理写真の撮影
Mactel 雑感
Boot Camp で Windows OS と Mac OS のデュアル・ブートになった Macintosh ですが,コア・デュオ・プロセッサーの基本機能として実装されている仮想化技術が OS レベルでサポートされたとき(=おそらくレパードがプリインストールされたとき)が「買い」だと思います.
例えば,iPhoto 使うときは Mac OS X,Oracle データベースを使うときは Windows に切り替わるというか,ちょうど OS X 上で,OS X 用アプリと,そのクラシック環境で OS 9 用アプリを使うときのような感覚といいますか,いずれにしてもシームレスです.
わたくしが当初期待してたのは,Darwine かなんかで Windows アプリが Windows OS なしで Mac OS X 上で直接動くことだったのですが,考えてみたら,Windows OS がこれだけ普及してしまって,これなしではやっていけない世の中になってますから,(デュアル・ブートではなく,また,Windows を一切使わないのでもなく)仮想化技術でもって Windows OS と Mac OS をシームレスに行ったり来たりできる方が便利です.
これができるようになると,ハードウェアとしてのマックの価値は高まりまくります.この8月のサンフランシスコのWWDCで(名前は別にして)パワーマックのインテル版が発表されるようですが,例えば2つの内蔵ハードディスクの一つにはWindows OS 環境,もう一つには Mac OS X 環境を載せることで,使うアプリに応じてシームレスに OS が切り替わるという感じになったらかなり売れるでしょうし,アップルの狙いはズバリここにあると思います.
わたくしは相変わらず持ち運べるノート狙いです.その昔,PowerBook Duoなどというめちゃくちゃ軽い1スピンドル・マシンがあったわけですから,アップルにできないわけがありません.ソニーや東芝の力を借りてでも世に出して欲しいと思う今日この頃です.
励風館の修復
3月19日と26日の両日,沢根五十里(旧佐和田町)にある「励風館」の修復整備作業に,当館から若女将,名畑翔,そして宿六(望の傍系末裔)が参加しました.
励風館 [reifuukan]は江戸時代の末に建てられた私塾で,佐渡奉行所内にあった官学の「修教館」より設立が5年早く,これが当時の官憲の不興を買ったと言われています.創始者は矢島望 [yajima_bou](またの名を矢島主計 [yajima_kazue]),江戸から大儒・亀田鵬斎 [kameda_bousai](折衷学派)が来島し論語や経史を講じました.
この励風館も昭和40年代に復元されてから40年近く経過し,傷みもだいぶ激しくなってきました.そこで励風館保存会(代表・中川修氏)をはじめとした有志が集まり,生い茂った竹を伐採したり,周辺の清掃をしたりしました.